振り替えれば京都に越して最初の正月、あたくしはずっと会えずにいた昔の友だちに年賀状を出しています。
「元気? じつは私、なんといま京都に住んでいます。ご近所さんになったよ、会えたらいいなあ」
内容はそんな感じ。キモノを着ている自分の小さな写真に住所とケータイ番号、メールアドレスも添えました。
彼女に最後に会ったのはいつだったでしょう。少なくともそこから15年は前だったように思います。お互い大学を出たての、新人編集者として出会いました。その後あたくしはフリーになり、彼女は関西の実家に帰って、ある分野の専門家になりました。
彼女は沢尻エリカさんのようにたいへん美しい造作でした。肌は陶器のように白く澄んで、また背もすらりと高く、モデルでも十分いけそう。あたくしはそんな彼女をかわいくデフォルメした似顔絵をよく描いていたものです。
彼女が東京を去ったときは悲しかった。
遠い日に関西から届いた1枚の年賀状をあたくしは大切に持っていました。「いつでも連絡してね」。そこに記された彼女の実家の住所を見ながら、懐かしさにドキドキわくわくして、そして少し緊張ぎみに自分の近況を葉書にしたためたのでした。
ところが結果は予想外でした。要はフラれてしまったのです。
少し日を置いてポストに舞い込んだ寒中見舞い。その裏面にはゴマ一粒ずつくらいの、本当に小さな字が細かく綴られていました。芸術家肌の彼女が見せる、個性的で美しいデザイン。「つかちゃんが京都にいるなんてびっくり。ライターがんばってるね。キレイになったね」。驚きと賞賛がありました。
ただし、それだけでした。「会いたい」と書いたあたくしへの返答は会おうでも会いたいでもない。彼女の近況もありませんでした。
差出人の欄には彼女の氏名と住所のみです。ケータイ番号もメールアドレスも書いてはいない。
「そっかあ」
彼女は大変優しく律儀な人でした。だから、突然年賀状を送ったあたくしを、決して無視はしなかった。無視をせずにきちんと返信を寄越した。そこには文字にはしない、口には出さない、彼女の強い気持ちが痛いほどにはっきりと表現されていました。
「会わないよ。ごめんね。わかってね」
人には人の事情があるものです。その部分を追求してもしようがない。葉書を見つめながら、あたくしも声には出さない言葉を返します。
(うん、わかったよ――。元気でね)
彼女のことはいまでも好きで、大切に思っています。若い時分を共有した、大切なお友だちです。
あたくしは人に好かれるより人を好きになることに大きな喜びを感じる性分です。自分が好きならそれでいい。会わないでいる付き合いかたもあるのだろうと思います。好きでも会わない。好きだからこそ会わない。愛のかたちはさまざまです。
近くに住みながら会わぬままにときは経ち、あたくしは東京に帰って、またふたりは遠く離れます。この先もう二度と会えなさそうです。が、それでいいのだと思います。美しい思い出は色褪せない。
あたくしもいつまでも元気でいるから、彼女にもいつまでも元気でいてほしいです。彼女の声や話し方を、あたくしはきっといつまでも覚えているでしょう。
