「みちのく一人旅に行ってくるよー。秋田から日本海沿いに北上して青森で折り返し、太平洋側沿いに南下して帰ってくるんだよー、いいでしょ」
そう言って周囲に自慢しつつ東京を出たのが8年前。2011年3月9日(水)のことです。
当時の手帳を開いて軌跡を追うと、
9日 東京→田沢湖→乳頭温泉郷(泊)
10日 乳頭温泉郷→田沢湖→秋田(泊)
11日 リゾートしらかみ1号 秋田駅発08:24 青森駅着13:35
となっています。
リゾートしらかみは「三味線の生演奏が聴ける列車」として有名で、あたくしは左手に海を望みながら生演奏を楽しんでいました。当時のブログではケータイからその様子をがんがん更新して、実況しています。「海だよー! 海ー!」
ところが――たびたび書いていることですが、青森に着いたとたん、なぜか足が進まなくなってしまいます。体が変に重いのです。胸に重石を乗せたかのよう。「もう疲れたのかなあ」
急ぐ旅ではありませんでした。通りすがりの旅行代理店で青森→函館のちらしを手に取ったあたくしは、ここでルートを急きょ変更します。このまますぐに太平洋側に出るのもつまらない。今日は青森湾近くの温泉宿にでも泊まって明日、そうだ、特急スーパー白鳥に乗っていっそ函館まで行ってしまおうと、そう考えたのです。(※スーパー白鳥は2016年、新幹線の開業日に廃止になりました。)
再び手帳から。
<青森→浅虫温泉 14:32→14:51>
2輌編成の小さな電車(ワンマン)に乗り込みます。雪の降り積む高台(平野)を進むと、左手眼下に青森湾が広がりました。と、そこであの東日本大震災が起こります。
その日の夜、慌ててノートに書き付けたメモをほぼ原文ママで載せます。まだ詳しい情報が入る前の段階のもの。時間等、変なところは大目によろしく。
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浅虫温泉に行く青い森鉄道電車に乗っていたところ(14:30頃だったと思う)突然の異変。
電車がぐらりと傾いでそれから徐行、そして停車。車輌事故だと思った。ところがアナウンスは「地震です!」。
さらには「震度6強です」。客はざわめく。電車は止まったまま2時間ほど缶づめに。果たして乗客は電車を降り、線路づたいに歩いて駅まで向かうことになる。駅には青い森鉄道のバスが停車していて、私たちを温泉(※註/駅の間違い)に送ってくれる。
駅から私は道に迷う。地元民らしき人に道を尋ねると途中まで歩くのにつきあってくれる。「何かあっだら電話さください。私、××××っていいます。・・・・・・・だから(※註/人物の特定を避けるために隠します)、電話帳で調べだらわかる。しっかり。こんな経験はこの先もうない。ろうそくで生活なんて初めてだ。明るい気持ちで過ごしましょう」。ありがとう。
↓
宿へ。町中(青森全体)は大停電。ライフラインがまるでダメになってしまった。食事は用意できないかも、と言われるがなんのなんの大変なごちそうであった。
私のほかに客は、男ひとり客×2、女ひとり客×1、学生カップル×1。
みんなで力を合わせて頑張っていこうと話す。宿の人たちもみんな親切。
「金はいりません。いつまでもいてください。困ったときはみんなで助け合いましょう!!」
(※註/宿のおかみさんのセリフ)
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翌日12日(土)、今度は手帳に以下のように書いています。
<いま13:00すぎ。未だ電気通じず。ケータイが充電できないため連絡はとれず。関東も大地震が起きているとは知らなかった。(まったく情報が入らないため。)復旧またれる!
17:00前に通電!
お風呂に入れた!!
夜、朝日新聞記者の2人組が宿に泊まりに来る。(おかみさんの配慮で無料で部屋を提供したらしい。)>
13日(日)。
<朝、おっさん、おねーさん、にーさんの3人組(※註/泊まり客のこと)が青森空港に行く。キャンセル待ちするという。(9:30に宿を発つ)
夜にメールあり。21:30頃乗れたようだ。
私と学生カップル計3人の淋しい夕食だった。スタッフも全員去る。>
14日(月)。
<ボランティアで残ろうと思うも町の状態が深刻化し、このままでは町のお荷物になると判断して急きょ東京に戻ることに。あわただしかった。すごくバタバタした。
浅虫温泉はとてもいいところ。必ずまた行くつもり。>
8年前のいま、急停車した電車から降りると吹雪が待っていました。向こう1メートルが見えないほど世界は真っ白で、あたくしは今日行く場所を目指して、迷い歩いたのでした。
見知らぬ人たちとろうそくを真ん中に車座になり、酒を飲みながら馬鹿話をして呵呵と笑った暗い夜。
おそらくそのときのあたくしたちはどうしようもなく不安だったのだろうと思います。怖いときほど、特に人前では人は明るく笑うことに努める生き物なのだろうと思います。
震災が残していったおぞましい爪痕にあたくしがめそめそと泣いたのはそれからもう少しあとのこと。青森から妹夫婦宅へ行き、しばしの滞在を経て、やっと東京の部屋に帰ってひとりになってからでした。
