消えた文は名文、消えた作品は名作なのよサンタマリア。
先月末で当blogのメール投稿機能が終了してしまいました。早く引っ越さなければと思いながらぐずぐずしてしまうのはデフォルトです。まあしかたないと、スマホから設定画面を開いて二度とは書けない長文をしたためるもうっかり画面を閉じたらそのままアウトという悲惨。何をやっているのだか。
そんな春です(どんなだ)。
昨日は両親の命日でした。といって特別なことは何もない。毎年やって来るいつもどおりの平日です。
――のはずでした。
世界全体が大きく変わりました。自分の人生にパンデミックに戦く日々が、疫病という見えない恐怖と戦う日々があるとは夢にも思いもしませんでした。みなさんもきっとそうでしょう?
漫画『エマージング』を思い出します(詳しくは割愛します。タイトルで検索してみてね)。映画では苦手な血しぶきブシャーッ!や脳みそ内臓じゅるるんの表現も外薗昌也さんの描く繊細な絵だと全然平気で、というよりは大好きで夢中で読んだものでした。あの世界がリアルにそこにあります。
早くに死んだ両親は東日本大震災も知らなければ今回のパンデミックも当然知りません。生きていたらどう思ったか。生き続けることはそれだけたくさんの喜怒哀楽を重ねていくことなのだとあらためて思います。世界は遺された者のために開かれ、また遺された者のなかに存在します。あたくしたちは歴史の目撃者として証人として、この事態にしっかりと大きく目を見開き接していきましょう。
手洗いです! とにかく手洗いをしてね!
