最近、文芸ジャンルで「好きな作家」および「好きな作品」を聞かれる機会がありました。
こういうとき、あたくしはたいへん困ってしまいます。はて、なんと答えたらよいのやら。
世の中はすばらしい作家と作品にあふれています。遠い昔のそれらを引き出せば数えきれません。そして、どれも“憧れ”の観点からいえば好きだし、“嫉妬”の観点からいえば嫌いです。
あたくしなんかは読書家ではないからまだいいとして、本当の読書家は好きな作家や作品を挙げられないのではないでしょうか。挙げれば際限がなくなるのは逆にいえばゼロですから。
本の、特に文芸の、なかでも文学のつらいだろうところは何かしら好みを挙げてしまうと、人前ではひた隠しにしている「わたし」が露出する可能性のあるところ。まあ見えたところで大したものは詰まっていないのですが。人に自分の嗜好を、それも読書というかたちで案内するのはなかなかに勇気が要ることです。
みなさんなら何と答えるのでしょう。人のそれは興味があります。ちなみに「本なんて読んでいない」や「本は別に好きじゃない」は立派な回答です。むしろ、「本を読まないと頭が悪いと思われる」という自意識過剰から読書家のふりをしたり難しい本を挙げたりするより百倍いい気がします。本の前に自分を解放できるのはひとつのとりえです。
さて、あたくし。「どうしよう」。
本当に挙げたいのは「新約聖書」なのですが(世界のロングセラーですし)、はてさてこれは作品なのだろうかと考えて、それ以外で繰り返し何度も読んでいる――要はとりあえず読んだ頻度がもっとも高いものにしぼって数点、挙げてみました。
好きな作家(著者)は
阿刀田高
O・ヘンリ
谷川俊太郎
松本清張
「新潮45」編集部(事件シリーズ)
など。
好きな作品は
「かもめのジョナサン」(※原文/リチャード・バック)
「夢を見た」(ジョナサン・ボロフスキー)
「心に狂いが生じるとき」(岩波明)
「異邦人」(アルベール・カミュ)
「マノン・レスコー)(アヴェ・プレボー)
「もしも僕らのことばがウイスキーであったなら」(村上春樹)
など。
イマドキ感がないといわれそうですが、そうではない、本は時を超えつねに新しいのだといっておきましょう。新旧はそのときその人のこころが決めるもののはず。古典が新鮮だったりしますし。
なんてエラソーに書いてしまいましたが、まあこの手の質問に答えるのはかなり難しいよね、というただそれだけの話でしたとさ(すまぬ)。
いま、本棚から阿刀田高さんの「詭弁の話術」(初版は平成5年。ただし著述時期はそれよりさらに20年もさかのぼる)を取り出してひもといたところです。んー、やっぱりおもしろいです!
